自然淘汰

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 人は何時から自然を凌駕したと勘違いしたのだろう?

 散歩の途中で見た朽ちた自動車。テクノロジーの粋を集めて作られた車も、今は動く気配すら感じさせず、最早山の一部と化していた。車が人間文明の象徴なら、深い緑の苔は自然の力強さを表してるのでは無いだろうか。人は決して自然を超える事は出来ないのだと、自然の中に生きるチッポケな存在なのだと。

 生き物かどうかさえ定かで無い、目に見えぬ小さなものに、生命が危険に晒され、必要以上に怯えて生きている今、その意味を嫌でも理解しなければならない。
 世の中には理解を超えたものが、まだまだ多く存在している。今回の騒動は、巷で噂されている人為的なものの可能性も否定出来ないが、普通に自然発生的なものだとすれば、成す術も無くこのまま飲み込まれてしまうと言う結末も十分に有りえる。
 私はガイア理論の信奉者では無いが、自然の中に居ると調整者は確かに存在すると感じるし、不要なものは排除されて行くのが世の定めだと思う。全てはバランスの上に成り立っている。

 先駆者として未開の地を切り拓いて行っても、そこには限界があり、最後は圧倒的な力に飲み込まれて行く。それでも人は未知の世界に戦いを挑む。それが人の宿命であるかの様に。
 人は最後には淘汰されて仕舞うのだろうか、それともバランスの中に上手く居場所を見付けて生き存えるのだろうか。


 もし生き存えたいのなら、もう少し謙虚になる必要がある様に思うのだが・・・・・
by kakera365 | 2020-04-24 22:09 | 社会 | Comments(0)
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